慶應義塾大学卒業後に海上自衛官となり海賊対処任務でソマリア沖に派遣、約3年で退官してロンドン大学王立学院に留学。戦争学修士号を取得してアフリカ紛争地域での警備に携わった。“アフリカが好き、カオスが大好き”と語るMICCHI(ミッチー)さんに、色々と突っ込んでみた。
木本「これは皆さんに聞いていることですが、ズバリ今までに何人殺しましたか?」
MICCHI「まだ、ないです。」
木本「あくまで一線は超えてないと?」
MICCHI「幸い、まだありません。アフリカで仕事していた時も、僕自身が武装していてゲリラと対峙する、みたいなことはありませんでした。」
木本「慶應ボーイですよね。」
MICCHI「僕はエスカレーター式に小中高大と上がりました。」
木本「なんか腹たつわぁー。ところで陸の王者(という応援歌がある慶應)がどういうご縁で海上自衛隊に?」
MICCHI「当初は外資系コンサルや投資銀行など、ありがちな就職活動をしていました。例えば今はなきリーマン・ブラザーズでインターンをしたことも。お金最優先の価値観に思えて、どうも自分とは相入れないなと。海上自衛隊には記念受験のようなつもりで応募書類を出していました。幼い時から軍事モノが大好きだったこともありまして。色々と迷いはしたものの、自分が求めているものは何かと考えるうちに気持ちが固まり、大学4年の12月に入隊を決意しました。陸上自衛隊は朝から晩までランニングしているイメージだったし、航空自衛隊は視力のせいで花形のパイロットにはなれないだろうと。海上自衛隊は当たり前のように任務で最前線に出て行くし活動がグローバル。国を背負って海外の最前線に出る緊張感が、自分にとって最高だと思いました。」
木本「採用担当官もびっくりしたのではないですか?まさか慶應ボーイが、って。」
MICCHI「あまり知られていないことですが、幹部候補生課程の開始時点では4割が防衛大学出身者、6割が他大学出身者などです。」
木本「出世のスピードも同じ?」
MICCHI「佐官クラスまではほぼ同じです。将官クラスまでいきますと微妙に差が出てきます。歴代の幕僚長になりますと、一人を除いては全員が防大出身です。」
木本「トリビアですね、知らなかったです。」
MICCHI「JAPANESE NAVYは国際的に評価が高かった歴史もあります。」
木本「長州出身者が牛耳っていた旧陸軍は酷いですよね。つい先日、NHKスペシャルでインパール作戦のドキュメントをやっていましたが、何万人もの兵士を無駄に死なせるなど、陸軍上層部の無能ぶりは聞いていられないくらい辛い。」
MICCHI「例えば東郷平八郎など、海軍は薩摩出身者が中心でした。当時から日本海軍はイギリス海軍に幹部を留学させていましたし、ロシアや中国に勝利した実績があります。」
木本「なるほど。軍事少年だったMICCHIさんが海自を選んだ理由がわかった気がします。」
MICCHI「入隊して幹部候補生課程に1年間、練習艦隊に半年間、そして護衛艦さざなみの通信部隊と航海部隊の副指揮官としてソマリア沖で勤務しました。」
木本「過酷でした?」
MICCHI「艦隊勤務は24時間態勢、複数チームが交代で当直します。当直時間以外は休みのはずなのに、休憩中でも訓練や洋上補給があったりして満足に休めません。しかも海上自衛隊は「紙上(かみじょう)自衛隊」と言われることがあるくらい「紙の上」で戦う仕事が多く、休憩時間が忙殺されます。」
木本「実質的に休憩や睡眠はない?」
MICCHI「はい。24歳の時、心臓発作で倒れました。」
木本「男前!」
第2回「人生の大きな転換期。それはやっぱりロンドン!」に続く
1)お金や権力への「理由なき反抗」
幼少の頃から裕福な、もしくは親がある種の権力を持っている家庭環境で育った人の中には、お金や権力に極端に反抗的になる人がいる。
「あるからこそ」起きてしまう問題や、それに四苦八苦する親を見て育つからだ。MICCHIさんがそうだと言っているわけではない。
もちろん「そんな稚拙な反抗心はお金がない苦労を知らないボンボンだから」という見方(庶民のヒガミ)も多少は的を得ているかもしれない。しかし「あるからこそ生まれる苦しみ」というのも逃れられないだけに相当に過酷らしいのだ。
世間では偉大だと言われる財界人や政界人が、それでも「自分の魂は救われない」ともがき苦しみ、最後は芸術の世界に救いを求めて周囲がドン引きするほど名画を買い漁る、もしくは若いアーティストの育成に私財をつぎ込む、でも救われず苦しむ、という例が少なくない。そんな姿を間近で見て育った子供は、幼少ながらに思うところがあるのかもしれない。「俺も跡を継いでビックになるぞ!」ということもあるだろうし「どんなに成功しても、それと幸福とは違うのだ。」とか。
こんな人もいた。
「60歳になったら出家する!」と早々と宣言した上で本当に出家し、古都の町で托鉢までおこなってしまう某有名経営者の姿に、さぞかし周囲は度肝を抜かれたことだろう。ゆったりと過ごして贅沢でもすればいいものを、と。しかし、それほどその人は魂の救済を求めていたのだ。
私の邪推だが、もしかしたらMICCHIさんにも「お金や権力って求めているものと違うな」と思う体験があったのかもしれない。なかったのかもしれない。本人が「そこは非公開で」というのでここでは書かないが、彼の家庭環境を聞けば「お金最優先の価値観に自分は合わないと思い」という感覚がなんとなく理解できる(ような気になる)。全く関係ないのかもしれない。究極的には「わからない」のだけど。この辺りをいつか、私的に聞いてみたいと思う。
ちなみにジェームス・ディーン主演の映画「理由なき反抗」は、開始早々に主人公の反抗理由が明らかになる。作中では理由なき、ではなくちゃんとした理由があるのだ。現実は複雑怪奇。
2)「どうして◯◯になろうと思ったのですか?」という愚問
「そんなこと本人にだって本当はわからないものではないのか?その答えを知りたくて、自分が何者なのかを知りたくて、がむしゃらに飛び込んでみただけなのでは?」と思っている私は、そんな愚問をして取材対象者に「こいつ、つまらないこと聞いてくるなー」と思われたくはない。
そんなひねくれたことを考えるようになったのは、私自身が何かに邁進している人に「なぜ警護の道に?」と聞かれたことがないからだ。聞いてくるのは大抵が道に迷っている人、もしくは学生みたいな人。
キリンに「なぜ首が長いんですか?」とか、ライオンに「シマウマを襲う時に後ろから抱きついて爪を引っ掛け引きずり倒すのはなぜですか?」なんて聞いたとしたら。
『知らねーよ。そういうもんだろ?違うの?』と答えるに決まっている。自然とそうなってしまった、というのが本質ではなかろうか。
ちなみにキリンの首が長い理由は、現代の科学でも説明がつかないらしい。
むかしこんな面白い話を聞いたことがある。
万有引力の法則を発見したニュートンは「なぜ思いついたのか?」という質問の嵐に疲れ果て、ある明答(というか珍答)を思いついたそうだ。
「りんごが木から落ちるのを見て、ある時ハッと気づいたのです」
たいていの人はこれで納得したらしい。しかし。
よく考えてみると、おちょくっているとしか思えない。そもそもなんでりんごなのか。ペンとか教科書が落ちるのではなく。りんごの方がなんだか、赤いし牧歌的だし絵になるじゃん、みたいな理由に違いないのだ。
本当はニュートンだって「わからないんです。でもなぜかそれに取り憑かれて、色々考えているうちに結果として・・・。」と言いたかったに違いない。「俺の脳みそどうなってるんだろう。なぜあそこでこれを思いついたんだろう。」と思っているはずだ。
私がニュートンを天才だと思ったのは、万有引力の発見だけでなく『人々を納得させる一言』を考案したことだ。この珍発明?によってニュートンは膨大な労力から自分自身を解放させたに違いない。
そんなわけで私はこう聞くように心がけている。
「どういうご縁で?」
なんで海上自衛隊に行ったのか、なんでロンドン大学に留学したのか、なんでアフリカに行ったのか。質問する前から答えはわかりきっている。
「その当時は、それ以外の選択肢が浮かばない。だからそうしたし、そうしているうちに今になってしまった。」からに違いない。
「親がー」とか「人に勧められてー」とか「親戚の人が勝手にプロフィール写真を送っちゃってー」とか、そんなの嘘だ。(ほんとだったらすみません)
インタビューなのでわかりきってはいるけども仕方なく「なぜ」と聞いて話を展開させるために使うときの便利な言葉。
「ご縁で?」
奥ゆかしいし和風だし。いい質問の仕方だと思いませんか?え、同じことですか?
最後までお読みくださいましてありがとうございます。